呪術廻戦「うずまき」の能力とは?羂索のチート級術式の正体を徹底解説!

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『呪術廻戦』に登場する夏油傑(現在は羂索)の奥義「うずまき」は、物語の中でも特に注目される能力です。

数千体の呪霊を一つにまとめて放つ強力な技でありながら、準1級以上の呪霊を使うことで術式を抽出するというチート級の効果も持っています。

一方で、その見た目やネーミングが伊藤潤二の作品「うずまき」と酷似しているため、「パクリでは?」という声も上がっており、ファンの間で論争になっています。

この記事では、「呪術廻戦 うずまき」の能力の詳細から、パクリ疑惑の真相、さらには劇場版での描写の違いまで徹底解説します。

この記事のまとめ

  • 「うずまき」は夏油傑(羂索)の奥義
  • 数千体の呪霊をまとめて放つ高威力技
  • 準1級以上の呪霊から術式を抽出可能
  • 術式抽出により複数の能力を使える
  • 伊藤潤二「うずまき」との類似で炎上
  • 単行本ではビジュアルが修正された
  • 劇場版では渦の表現が抑えられている
  • 羂索の目的は人類の進化と呪力の最適化

呪術廻戦「うずまき」の能力とは?術式抽出のチート性能を解説

『呪術廻戦』における「うずまき」は、羂索(夏油傑)が持つ奥義であり、その圧倒的なスケールと汎用性から注目を集めています。

単なる攻撃技にとどまらず、術式を奪うという恐るべき副次効果を持つことで、作中でもトップクラスの能力として描かれています。

ここでは、「うずまき」が持つ2つの主要能力――呪霊の凝縮攻撃と術式抽出について詳しく解説していきます。

うずまきの基本能力:数千体の呪霊を一つに凝縮する攻撃技

「うずまき」は複数の呪霊を融合させ、超高密度の呪力弾を生成して放つ、いわば極限まで高められた砲撃技です。

作中では4,461体もの呪霊をひとつにまとめて放つという描写があり、そのスケールは他の術式を圧倒しています。

この技は単純に呪力量の暴力とも言え、受けた相手を粉砕するほどの威力を誇ります。

ただし、使用後は全ての呪霊を失ってしまうという大きなデメリットも存在し、まさに捨て身の技と言えるでしょう。

準1級以上の呪霊で発動可能な「術式の抽出」とは?

「うずまき」にはもう一つの顔があります。

それが、準1級以上の呪霊を融合させた場合にのみ発動する「術式抽出」です。

この効果によって、融合させた呪霊が持つ術式をそのまま使用できるようになります。

例として、羂索は真人を「うずまき」で取り込み、その結果魂を自在に操作する「無為転変」の術式を手に入れました。

通常、呪術師や呪霊は生得術式を1つしか持てないという世界観の制約を超え、複数の術式を自在に使えるようになる点で、「うずまき」は極めて特異な存在となっています。

なぜ「うずまき」はチートと言われるのか?その理由

「うずまき」がチート級の能力とされる最大の理由は、通常の術式の限界を突破する性質にあります。

生得術式の唯一性という設定を無視し、他者の術式をコピー・使用可能にするという点は、敵味方問わず破格の存在です。

さらに、攻撃力・応用性・支配力の3点で優れており、戦局を一気に覆す力を持っています。

そのため、「うずまき」は呪術廻戦における最も戦略的かつ破壊的な技のひとつと評価されています。

「うずまき」は伊藤潤二のパクリ?元ネタ論争の全貌

『呪術廻戦』の「うずまき」は、そのビジュアルとネーミングにおいてホラー漫画界の巨匠・伊藤潤二の作品『うずまき』との類似性が指摘され、SNSやファンの間で物議を醸しました。

本誌連載時から単行本収録にかけて、その描写には修正も加えられており、作者・芥見下々先生自身の発言も含めて、その真相が注目されています。

ここでは、どのような点が「パクリ」とされているのか、またそれに対する擁護や反発の声、編集部と作者の対応を詳しく見ていきます。

伊藤潤二「うずまき」との類似点とは?ビジュアル比較

問題視されたのは、夏油傑が放った「うずまき」の渦を巻いた呪霊の集合体のビジュアルです。

この形状が、伊藤潤二の代表作『うずまき』に登場する人体が渦を巻いて崩壊していく描写と酷似しており、「そのまま過ぎる」との声が相次ぎました。

特に、夏油の技として初登場した際には「まるでホラー漫画のワンシーン」と受け取られるほどで、意図的に模倣されたのではないかという指摘が集中しました。

ネットでの批判と擁護の声:ファンの反応は真っ二つ

この件に対する読者の反応は大きく分かれました。

「これはパクリで失礼だ」と怒りをあらわにする声がある一方、「オマージュの範囲内では?」という擁護意見も存在します。

中には「伊藤潤二作品を知っているからこそ面白かった」という好意的な受け取り方をするファンもおり、創作とリスペクトの境界線に対する関心も高まりました。

ただし、「掲載時に注釈がなかったこと」や「許可を取らずに描いたこと」に対しては、多くの人が問題意識を持っていたようです。

単行本での修正と芥見下々先生のコメント内容

この問題を受けて、単行本では「うずまき」の描写に修正が施されました

連載時には明確だった渦の形状が、ぼかされるような表現に変わっており、直接的な表現が避けられています。

さらに、単行本16巻のおまけページで芥見先生が「元ネタは伊藤潤二の『うずまき』です」と明言

そのうえで「許可を取らずに使ってしまったことへの謝罪」が記載されており、現在は正式に許可を得た状態とされています。

この対応により、ある程度の沈静化は見られたものの、「掲載前に許可を取るべきだった」という根本的な批判は完全には消えていません。

劇場版『呪術廻戦0』では「うずまき」の表現が変更に

劇場版『呪術廻戦0』では、原作とは異なる形で「うずまき」が登場しています。

これは単なる演出上の都合ではなく、パクリ疑惑に配慮した結果の表現変更だと考えられています。

映画化によってより広い層に作品が届く中、「うずまき」の見せ方には慎重な調整が加えられているのです。

劇場版と原作の違い:うずまきの形状と演出の変化

原作では「うずまき」は呪霊の集合体が渦を巻く、視覚的にインパクトのある攻撃として描かれていました。

しかし劇場版では、その渦の全体像が画面の外に隠れるような演出に変更されています。

画面の切り取り方やエフェクトで、渦そのもののディテールが分かりにくくされており、直接的な視覚表現を避けているのが特徴です。

これは、過去に物議を醸したビジュアルの類似性に対し、制作側が意識的に配慮した結果と見て間違いありません。

なぜ変更されたのか?背景にあるパクリ疑惑の影響

劇場版が制作されたタイミングでは、すでに伊藤潤二作品との類似性に関する批判が広く認知されていた状況でした。

映画は国内外の観客に届けられるコンテンツであるため、著作権や倫理的な観点からも問題視されるリスクが高かったのです。

こうした背景から、映画では意図的に演出を調整し、渦の形が具体的に映らないようにしたと考えられます。

この処置により、ビジュアルの「炎上」を回避すると同時に、作品そのものの評価を守るという意味合いもあったと言えるでしょう。

うずまきを使う羂索とは何者か?夏油傑との関係性も解説

『呪術廻戦』において「うずまき」を使用するのは、元々は夏油傑という呪詛師でした。

しかし現在この技を使っているのは羂索(けんじゃく)と名乗る人物であり、その正体は夏油とは別の存在です。

ここでは、羂索とは何者なのか、そして彼と夏油傑の関係について、さらに「うずまき」がどのような意味を持っているのかを解説します。

夏油傑と羂索の関係:肉体乗っ取りによる同一人物

読者にとって混乱しやすいのが、羂索=夏油傑という構図です。

実は羂索とは、他人の肉体を転々と乗っ取って生き続けている呪詛師であり、現在は死んだ夏油の肉体を器にしています。

そのため、外見や術式(呪霊操術)こそ夏油傑のものですが、中身はまったくの別人なのです。

羂索は長い時間をかけて様々な肉体に乗り移りながら、自身の計画を実行してきました。

羂索の目的と「うずまき」の関係:人類の進化計画とは?

羂索の目的は、人類を強制的に進化させ、呪力を最適化することです。

その手段として、天元との同化を図り、日本中の人間を術師へと変えようとしています。

この計画において「うずまき」は重要な役割を果たしており、特に真人から奪った「無為転変」の術式が鍵になっています。

この術式を使えば、人間の魂や肉体を自在に操作できるため、人類全体を自分の思い通りに改造することすら可能になります。

つまり、「うずまき」は単なる戦闘技術ではなく、羂索の思想を実現するためのツールでもあるのです。

呪術廻戦「うずまき」の能力と元ネタ論争を総まとめ

ここまで『呪術廻戦』に登場する「うずまき」について、その能力や演出、論争の背景までを見てきました。

「うずまき」はただの必殺技ではなく、作品の根幹にも関わる物語の鍵を握る重要な要素です。

改めて、その強さと危険性、そして元ネタ論争の教訓について振り返ってみましょう。

能力の強さと危険性を再確認

「うずまき」は呪霊を融合して高密度の呪力を生み出す攻撃技であり、戦場において圧倒的な破壊力を発揮します。

さらに、準1級以上の呪霊を使用することで、術式を抽出・習得できるというチート効果を持つ点も、他の術式とは一線を画す特異性です。

一方で、使えば手持ちの呪霊を全て失うなど、戦略性が求められる危険な技でもあります。

この両面性こそが「うずまき」を魅力的な能力にしていると言えるでしょう。

オマージュとパクリの境界線:今後の作品に求められる配慮

「うずまき」にまつわる論争は、創作におけるリスペクトと模倣の線引きを改めて問い直す機会となりました。

伊藤潤二先生の『うずまき』に似たビジュアルやネーミングが無許可で使用されたことへの批判は当然の流れであり、作者自身もこれを認めています。

その後の修正や許可取得によって一定の理解は得られましたが、創作の自由と著作権の尊重のバランスがいかに重要かが浮き彫りになりました。

今後は、たとえ敬意を込めたオマージュであっても、事前に許諾を得る姿勢が、より一層求められる時代になっていくでしょう。

この記事のまとめ

  • 「うずまき」は呪霊を凝縮して放つ奥義
  • 準1級以上の呪霊で術式を抽出可能
  • 複数の術式を使えるチート技
  • 伊藤潤二「うずまき」との類似で論争
  • 単行本ではビジュアルが修正された
  • 劇場版では渦の形を見せない演出に
  • 羂索は夏油傑の肉体を乗っ取った存在
  • うずまきは人類進化計画の鍵でもある
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