『チェンソーマン』第75話では、ついにマキマの正体が「支配の悪魔」であることが明らかになり、物語は急展開を迎えます。
アメリカ大統領の契約によって召喚された銃の悪魔の登場は、作中だけでなく読者にも強烈な衝撃を与えました。
この記事では、チェンソーマン75話の展開を振り返りながら、読者が感じたであろう感情や考察ポイントを丁寧に解説します。
この記事を読むとわかること
- チェンソーマン75話の衝撃展開とマキマの正体
- 銃の悪魔が登場した背景と演出の意図
- 国家レベルの契約が描く人間と悪魔の関係性
チェンソーマン75話の最大の衝撃は「マキマ=支配の悪魔」だった
第75話では、これまで謎に包まれていたマキマの正体がついに明らかになりました。
読者の間でも長らく囁かれていたその正体は、まさに「支配の悪魔」という驚愕の存在です。
この展開により、彼女の過去の行動や言動すべてに意味があったことが示唆され、物語の見え方が一変しました。
マキマの命令で明かされた天使の過去
物語の冒頭、マキマは早川アキに対して「命令」という形で接触し、天使の悪魔に影響を及ぼします。
このマキマの言葉によって、天使は人間だった頃の記憶を取り戻し、彼の内面に激しい怒りと悲しみが湧き上がる様子が描かれました。
マキマに支配されることによって、「個」としての天使は失われ、読者にも支配される恐怖が直感的に伝わります。
「伏せ」で支配された天使とアキの悲劇
記憶を取り戻し、抵抗を試みる天使でしたが、マキマの「伏せ」という一言で完全に無力化されてしまいます。
その直後、マキマは「私に全てを捧げると言いなさい」と命じ、彼の全存在を掌握しました。
また、アキに対しても同様の支配が働き、ふたりの自由意思は完全に消失してしまいます。
この展開は、単なる恐怖や強さではなく、「支配」とは何かを象徴的に描いた場面と言えるでしょう。
この章では、マキマというキャラクターがもはや人間ではないこと、そして「支配の悪魔」としての真の能力を露わにしたことが、チェンソーマンという作品のテーマ性を大きく押し広げる要因となりました。
銃の悪魔の登場はなぜ恐ろしいのか?描写と演出の意味
第75話の後半、物語はついに銃の悪魔の襲来という衝撃的な展開を迎えます。
マキマとの戦いのため、アメリカ大統領が契約して召喚したその存在は、人類にとってまさに悪夢の具現でした。
本エピソードでは、その登場シーンが徹底的な恐怖演出で描かれており、読者の心に強烈な印象を残します。
「9.12」に込められたメタファーと現実の対比
今回のサブタイトル「9.12」は、読者にとってただの数字ではありません。
多くの人にとって記憶に残る「9.11」事件を彷彿とさせるこの日付は、暴力と恐怖の象徴として意図的に選ばれたと考えられます。
そして、銃の悪魔はアメリカの意志で動く存在でありながら、日本に降り立ち、そこで暴れ回るという構図が皮肉的でもあります。
藤本タツキ氏の社会批評的な視点が垣間見える場面でもあり、読者に深い思索を促します。
犠牲者の羅列に込められた恐怖と喪失感
銃の悪魔が上陸した際、その動きと同時に記録されたのが「挙動」と「犠牲者の名前」の羅列でした。
見開きページに無機質に並ぶ名前の数々は、人命が記号のように扱われる恐ろしさを直視させます。
そこに描かれたのは、銃の悪魔の「強さ」ではなく、抗うことすらできない絶望の空気感です。
この演出により、単なる戦闘シーンを超えた“災害”としての悪魔が表現されています。
このように、銃の悪魔の描写は、読者に「恐怖とは何か」「暴力とは何をもたらすのか」という深い問いを突きつけてきます。
ただのバトルではない、「喪失の物語」としてのチェンソーマンの核心が、この75話で明確に提示されたのです。
アメリカ大統領と銃の悪魔の契約が意味するもの
第75話では、日本とは別の場所――アメリカ合衆国の動向が描かれ、物語のスケールが一気に国家レベルへと広がります。
中でも注目すべきは、大統領が自国民の寿命と引き換えに銃の悪魔と契約を交わすという衝撃の決断です。
これは単なる政治的判断ではなく、チェンソーマンという作品全体に通底する「支配」と「犠牲」のテーマをより強調するものでもあります。
国家レベルでの悪魔契約というスケール感
悪魔との契約といえば、これまでは個人や組織単位でのものが描かれてきました。
しかし今回、一国の代表者が国民全体の命を代償とするという形で契約を結ぶという描写は、スケールと倫理観の両面で際立っています。
この行動は、国家権力が個人の命をどう扱うかという、現実社会にも通じる重たいテーマを浮かび上がらせています。
人間の命と引き換えに交わされた非情な選択
大統領は「アメリカ国民の寿命一年分」と引き換えに、銃の悪魔をマキマ討伐に向かわせました。
その決断には、「敵を倒すためには手段を選ばない」という国家の論理が反映されています。
ここで特筆すべきは、その選択が誰の意志によって、どんな過程で決まったのかがまったく描かれていないことです。
まるで当然のことのように犠牲が支払われ、読者はその重みを突きつけられるのです。
このエピソードは、単なる「悪魔vs悪魔」の構図に留まらず、人類と国家がどう悪魔と向き合うのかという哲学的な問いかけでもあります。
藤本タツキ作品らしい、政治・倫理・暴力が複雑に絡み合う構図が見事に表現されています。
秋田県にかほ市を選んだ理由とは?藤本タツキ作品ならではの舞台設定
第75話で銃の悪魔が現れた場所として描かれたのが、秋田県にかほ市です。
これまでのチェンソーマンでは東京や京都など、物語性の高い都市が多く登場していました。
そんな中で突如現れたこの地方都市の具体的な描写には、物語的にも作家的にも深い意味が込められているように感じます。
作家のルーツが作品に与える影響
にかほ市は、作者・藤本タツキ氏の故郷として知られています。
つまり、銃の悪魔が最初に襲来する場所に「自身の出身地」を選んだことになります。
この選択には、原風景を破壊されることへの恐怖や、それを物語に重ね合わせた個人的なメッセージが込められている可能性があります。
まさに「物語に現実が侵食する」瞬間とも言えるでしょう。
リアリティと虚構が交差する舞台の魅力
架空の都市や抽象的な地名が多用されがちなジャンプ作品において、「にかほ市」という実在の地名を用いる手法は非常にユニークです。
それにより、読者はファンタジーとしてではなく、現実世界にも起こりうる恐怖として物語を体感できます。
また、静かな地方都市という舞台が、銃の悪魔という圧倒的暴力との対比として際立ち、読者の感情に深く刺さるのです。
舞台選定におけるこのようなこだわりもまた、藤本タツキ作品の魅力の一つです。
それは単なる背景ではなく、物語の精神的な舞台装置として機能しています。
チェンソーマン75話感想まとめ|絶望の中にある希望の伏線を見逃すな
『チェンソーマン』第75話は、物語の中でも屈指の衝撃回といえる内容でした。
マキマの正体が判明し、銃の悪魔が日本に襲来するという二重のクライマックスが、一気に読者の心をつかみます。
その一方で、この話には絶望だけでなく、今後への伏線や希望の光も巧妙に散りばめられているのです。
まず注目すべきは、マキマの行動に込められた「意図」です。
彼女は確かに残酷な手段を取っていますが、セリフの端々からは「必要だった」という動機も垣間見えます。
つまり、完全な悪ではなく、どこかに「人間的な何か」が残されている可能性が示唆されているのです。
さらに、天使の悪魔が記憶を取り戻したことは、支配からの脱却への小さな一歩とも読めます。
無力化されたとしても、彼の心の中で起きた変化は今後の展開において大きな意味を持つかもしれません。
そしてなにより、銃の悪魔という圧倒的存在に対して、誰がどう立ち向かうのかという期待感が膨らみます。
この「絶望のどん底」でこそ輝くキャラクターたちの行動が、次回以降のドラマをさらに熱くさせてくれることでしょう。
第75話は、暴力・支配・記憶・国家――あらゆるテーマが交錯する、チェンソーマンらしさの結晶です。
そしてこの物語は、まだ終わっていません。
この記事のまとめ
- マキマの正体が「支配の悪魔」として判明
- 天使とアキが完全に支配される衝撃描写
- 銃の悪魔が「9.12」に秋田県へ襲来
- 犠牲者の羅列で描かれる恐怖と無力感
- アメリカ大統領が国民の寿命と引き換えに契約
- 藤本タツキの故郷・にかほ市が舞台に
- 絶望の中に希望の伏線も含まれる展開
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