【チェンソーマン】元ネタ映画まとめ解説☆

チェンソーマン
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アニメ『チェンソーマン』のOP映像には、数々の映画へのオマージュが詰め込まれています。

この記事では、「チェンソーマン 元 ネタ 映画」に注目し、OPに登場するシーンがどの映画をモチーフにしているのかを徹底的に紹介します。

映画ファンもアニメファンも楽しめる内容となっているので、ぜひ映像と照らし合わせながら楽しんでみてください。

この記事を読むとわかること

  • チェンソーマンOPに登場する映画パロディの元ネタ
  • 藤本タツキ作品に込められた映画愛と演出意図
  • 楽曲「KICK BACK」に隠されたJ-POPオマージュ
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チェンソーマンのOPでパロディされた映画はこれ!

『チェンソーマン』のアニメOPには、思わず映画ファンが反応してしまうようなパロディシーンが随所に散りばめられています。

その元ネタとなった映画の数々は、どれも映画史に残る名作ばかりで、視聴者を驚かせています。

「チェンソーマン 元 ネタ 映画」という観点から、OPに込められた魅力を深掘りしてみましょう。

映画パロディを通して見える藤本タツキの映画愛

原作者・藤本タツキは映画ファンとしても有名で、インタビューでも数多くの映画作品に言及してきました。

その影響は原作マンガの描写だけでなく、アニメOPにまで及び、明確なオマージュや構図の再現として視覚的に表現されています。

このようなパロディの数々は、単なる「ネタ」としての引用ではなく、藤本の映画に対するリスペクトの表れとも言えます。

たとえば、アニメ制作を担当したMAPPAもその意図を正確にくみ取り、シーンの構図や色合いを忠実に再現しています。

これにより、アニメと映画という異なるメディアをシームレスに繋げる演出が実現されているのです。

こうしたディテールへのこだわりは、映画愛が根底にあるからこそ成立すると感じました。

OPを見るだけでも、何度も見返したくなるような映像美と意味深な演出が満載です。

藤本タツキの映画的視点が、アニメという表現に昇華されている好例だといえるでしょう。

視聴者としては、その元ネタを知ることで、さらに作品への愛着が増すはずです。

アニメと映画、映像の共通点から見抜ける演出の妙

『チェンソーマン』のOPは、ただのアニメの一部としてではなく、映画的な映像演出の応酬とも言える仕上がりになっています。

これは、映画作品から構図やライティング、動きのリズムまでを丁寧に再構成しているからです。

たとえば『レザボア・ドッグス』のスーツ姿で歩くシーンは、アニメでも同様の角度と歩調で描かれ、視聴者に強い印象を与えます。

こうした構図の一致は一目で元ネタが想起されるよう意図されており、映画を知る者への“気づき”として機能しています。

また、構図が似ているだけでなく、登場人物の動きや演技の間までもが似ており、原作と映画の文脈がリンクするような設計になっています。

このような演出は、表現として高度であると同時に、視聴者の知識や感性を試す挑戦でもあるように感じました。

また、演出に使用された映画はいずれも強烈なテーマ性やビジュアルを持つ作品ばかりです。

その世界観をあえて『チェンソーマン』のキャラクターに当てはめることで、アニメのシーンにも新たな意味が付与されます。

一見するとギャグやシュールな演出にも見える場面が、映画の文脈を踏まえることで深い意味を持ち始めるのです。

アニメと映画、二つの表現が重なり合うことで生まれる演出の妙。

それは、見るたびに新たな発見があり、リピート再生せずにはいられない中毒性の一因ともなっています。

まさに“オープニングから物語が始まっている”と実感できる構成です。

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印象的なパロディシーン10選と元ネタ映画の特徴

『チェンソーマン』のOP映像では、海外の名作映画をモチーフとしたシーンがテンポよく差し込まれています。

ただのオマージュにとどまらず、シーンの意味合いや演出効果まで計算されているのが魅力です。

ここでは、そんな印象的なシーンと元ネタ映画の魅力について、一つずつ丁寧に紹介していきます。

『レザボア・ドッグス』:スーツ姿で歩く冒頭シーン

アニメOPの冒頭で、デンジ、マキマ、アキ、パワーの4人が黒スーツで横並びに歩くシーンがあります。

これはクエンティン・タランティーノ監督の『レザボア・ドッグス』のオープニングシーンを再現したものです。

構図・服装・カメラワークまでが驚くほど忠実に再現されており、映画ファンなら一瞬で気づくクオリティです。

この映画は1992年公開のアメリカ映画で、犯罪者たちの疑心暗鬼と裏切りを描く緊迫したストーリーが展開されます。

黒スーツ姿の男たちが無言で歩くという演出が、映画全体の殺伐とした空気を象徴しており、それを『チェンソーマン』で用いることで、物語の世界観と重なるメッセージ性を生んでいます。

また、4人のキャラクター性がスーツ姿でもにじみ出ており、静と動が共存する不思議な魅力を感じさせます。

パロディという形で取り入れつつ、キャラの関係性や立ち位置を象徴的に表現しているのも見どころです。

一見スタイリッシュなだけのシーンに見えて、実は深い意味がある――そうした“映画的な仕掛け”が、視聴者の心を引きつけて離しません。

『チェンソーマン』のOPは、ただの導入映像ではなく、こうしたシーンの積み重ねで作品世界を構築しているのです。

『悪魔のいけにえ』:墓場のポチタと幼少期デンジ

OP映像の中で、幼少期のデンジが墓場でポチタを抱きしめているシーンがあります。

このシーンは、1974年公開のホラー映画『悪魔のいけにえ』(原題:The Texas Chain Saw Massacre)への明確なオマージュです。

特に空の色合い、墓石の配置、デンジのしゃがみ込む姿勢など、映像全体の構図や雰囲気が驚くほど一致しています。

『悪魔のいけにえ』は、チェーンソーを使う殺人鬼・レザーフェイスの登場によって知られ、ホラー・スプラッター映画の金字塔として位置づけられる作品です。

低予算かつ無名キャストにもかかわらず、リアルな恐怖演出と衝撃的な映像で観客に強烈なインパクトを残しました。

墓場のシーンは映画のオープニングにも登場し、そこでの静寂と不気味さが『チェンソーマン』にも見事に引き継がれています。

このパロディは、単に雰囲気を真似しただけではありません。

ポチタという存在が、デンジにとって家族や相棒を象徴するものであり、絶望の中の唯一の救いであることを視覚的に強調しています。

まさに、『悪魔のいけにえ』の不穏さと『チェンソーマン』の孤独感が交差する、静かな名シーンです。

一見ホラー映画の引用とは気づきにくいですが、元ネタを知ることでより深く味わえる仕掛け。

恐怖と哀しみを同時に感じさせる表現は、藤本タツキ作品らしさの真骨頂とも言えるでしょう。

このように、OPには感情の揺さぶりを伴うシーンが巧みに織り込まれています。

『パルプフィクション』:岸辺の銃構えシーン

アニメ『チェンソーマン』のOPには、岸辺が銃を構えて座っているカットがあります。

そのシーンは、1994年公開の名作映画『パルプフィクション』の一幕を完全に再現したものです。

岸辺の背後にある壁の模様、ソファの質感、ポーズに至るまで、細部が完全一致している点に驚かされます。

『パルプフィクション』はクエンティン・タランティーノ監督による作品で、時系列をバラバラに配置した独特な構成が特徴です。

「三文小説」というタイトルが示すように、雑多で猥雑な物語が交錯する本作は、“意味のなさの面白さ”という価値観を提示しました。

アカデミー賞脚本賞を受賞し、世界中の映画ファンから高く評価されている作品でもあります。

チェンソーマンのOPでこのシーンを採用した背景には、岸辺というキャラクターの持つ“理不尽さ”や“暴力の正当化”といったテーマが通底しているように感じます。

『パルプフィクション』においても、暴力はスタイリッシュに、そしてどこか無意味に描かれます。

その“スタイリッシュな虚無感”が、岸辺の雰囲気とシンクロしているのです。

OPの演出としては一瞬のカットですが、映画を知る人には強烈に印象づけられるシーン。

“気づく人だけが気づけるパロディ”という仕掛けが、視聴者の熱量を高めています。

こうした緻密なオマージュの重ねが、チェンソーマンのOPを何度も観たくなる理由のひとつです。

『ノー・カントリー』:ベッドに座る暴力の魔人

アニメOPの中で、暴力の魔人がベッドに静かに腰かけているカットが一瞬だけ登場します。

このシーンは、2007年公開のスリラー映画『ノー・カントリー』に登場する殺し屋アントン・シガーの描写を彷彿とさせます。

ポーズ・アングル・表情まで酷似しており、映画ファンならば一目で元ネタに気づくでしょう。

『ノー・カントリー』は、麻薬取引の大金をめぐる追跡劇を描いた作品で、冷徹な殺し屋と一般人との息詰まる攻防が展開されます。

作中のアントン・シガーは感情が読めない無慈悲な存在で、彼の無表情と静けさが観る者にじわじわと恐怖を与えるキャラクターでした。

その“静けさゆえの不気味さ”が、暴力の魔人にも通じるところがあります。

暴力の魔人は作中で非常にパワフルな存在ですが、その本質は計り知れず、感情の起伏も読みにくい。

その特性が、この静かなワンカットに凝縮されているのです。

ただ座っているだけなのに圧を感じさせる演出は、まさに映画的な見せ方と言えるでしょう。

このパロディはセリフも動きもなく、一瞬の視覚情報だけで魅せるタイプの演出です。

“知っている人には刺さる”サイレントな表現が、OPの奥深さを象徴しています。

元ネタを知ってから観ると、その恐ろしさや意味がより強く伝わってきます。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』:車内のアキとデンジ

OP映像の中盤、アキが左ハンドルの車を運転し、その助手席にデンジが座っているシーンがあります。

この描写は、タランティーノ監督による2019年の話題作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のワンシーンを再現したものです。

車内からのカメラアングルや窓越しの風景、そしてキャラの姿勢までが忠実に模倣されています。

この映画は、落ちぶれた元俳優とスタントマンの友情を軸に、1969年のハリウッドを舞台とした群像劇です。

作中では、ブラッド・ピット演じるスタントマンが愛車を運転するシーンが多く描かれており、“道中の風景”でキャラクターの関係性や孤独感を表現する演出が印象的です。

チェンソーマンのアキとデンジの関係にも、師弟とも仲間とも言い切れない絶妙な距離感があり、それがこのワンシーンに滲み出ています。

映画では、長回しで描かれる運転シーンが物語の余白を作り、観客に思考の余地を与えます。

その演出をOPの一瞬のカットに凝縮したことは、視覚的に“静と動”の対比を語らせる巧妙な技と言えます。

アキの寡黙さや、デンジの少し緊張した表情も、キャラクターの心理を映し出しています。

このような一瞬の引用からでも、キャラの関係性や背景が感じ取れるのは、『チェンソーマン』ならではの演出力。

何気ない場面に映画的文脈を忍ばせる巧みさは、藤本作品の真骨頂です。

車内の二人の静かな空間は、見れば見るほど深みが増すカットです。

『アタック・オブ・ザ・キラー・トマト』:会議室のシュールなシーン

アニメOPの中で、異様に狭い会議室にアキ、岸辺、荒井、コベニが座ろうとして右往左往する場面があります。

このコミカルなシーンは、伝説のB級映画『アタック・オブ・ザ・キラー・トマト』(1978年)からの引用です。

無駄にぎゅうぎゅう詰めな会議室と不自然な動きが、パロディであることを明確にしています。

『アタック・オブ・ザ・キラー・トマト』は、巨大トマトが人間を襲うという突拍子もない設定のSFホラーコメディです。

ツッコミどころ満載の脚本と演出で、当初は酷評されたものの、現在では“Z級映画の金字塔”としてカルト的人気を誇っています。

シュールで意味不明なシーンが多く、真面目に見ようとすると逆に面白くなってしまう作品です。

チェンソーマンOPのこのパロディは、そんな“真面目な顔してバカをやる”精神を継承しているように感じられます。

特にキャラクターたちが不自然に動きながら椅子に座ろうともがく姿は、シリアスなキャラたちとのギャップが笑いを誘う名演出です。

背景に貼られた「トマトの悪魔」のようなポスターも、細部まで遊び心が詰まっています。

このようなシーンを挟むことで、OP全体に緩急が生まれ、作品のユーモアセンスも際立ちます。

“笑いも作品の一部である”という藤本タツキの世界観が、このワンカットにも込められているのです。

何度見ても笑ってしまう、クセになるシュールな名場面です。

『女優霊』:怯えるデンジと笑うパワーの背後

OPの中盤、デンジが怯えた表情でカメラを見つめ、背後でパワーが不気味に笑っているシーンがあります。

この構図は、1996年公開の国産ホラー映画『女優霊』の名シーンからインスパイアされています。

暗い画面、障子、表情の演出など、視覚的な雰囲気まで忠実に再現されています。

『女優霊』は、「リング」シリーズで知られる中田秀夫監督のデビュー作で、日本ホラー映画の流れを大きく変えた作品としても評価されています。

ある映画撮影現場で、謎の霊が現れるというストーリーで、じわじわと迫ってくる静かな恐怖が特徴です。

この「直接的な恐怖ではなく、不安が増殖していく」感覚は、『チェンソーマン』の世界観とも非常に相性が良いと感じました。

OPのこのワンカットでは、デンジの困惑した表情と、背後で笑うパワーのコントラストが秀逸です。

笑っているパワーが一見コミカルにも見えるのに対し、デンジの恐怖はリアルで、笑いと恐怖が絶妙に同居する不思議な空気感が漂います。

これはまさに、『女優霊』の持つ“怖いのに目が離せない”という魅力に通じるものです。

このように、日本映画のエッセンスを取り入れたパロディは、他の海外映画モチーフとはまた違った味わいを生んでいます。

静寂と不気味さで心理的なインパクトを与える表現が、ワンカットで成立しているのが見事です。

恐怖演出の中にも、どこか“らしさ”が漂う、チェンソーマンらしい巧みなパロディです。

『ジェイコブス・ラダー』:階段に座る天使の悪魔

OPの終盤、天使の悪魔が階段に一人で腰かけている静かなシーンがあります。

このカットは、1990年公開のサイコスリラー映画『ジェイコブス・ラダー』の印象的なワンシーンを下敷きにしています。

階段・カメラアングル・孤独な人物配置が共通しており、作品を知っていればすぐに気付くレベルの再現度です。

『ジェイコブス・ラダー』は、旧約聖書の「ヤコブの梯子」から着想を得た作品で、戦争帰還兵が悪夢と現実の狭間で精神を蝕まれていく物語。

作中の世界は曖昧で不安定、観る者に強い混乱と恐怖を与えながらも、宗教的な深みと精神世界の描写により、今なお多くの考察を呼んでいます。

ホラーゲーム『サイレントヒル』の世界観にも大きな影響を与えたとされ、ジャンルを超えて評価されています。

チェンソーマンにおける天使の悪魔は、悪魔でありながら天使の名を冠し、無気力でどこか浮世離れした存在です。

その姿を“梯子”に腰かけさせることで、生と死の境界に佇むキャラクター像が視覚的に表現されていると感じました。

特に動きがない静止カットである点も、『ジェイコブス・ラダー』の精神世界的な静けさを象徴しています。

このシーンは派手さこそないものの、知っていると深く心に残る演出です。

静謐で不穏、そして哲学的な空気感が、チェンソーマンのOPに新たな陰影を与えています。

見る者の記憶に残る、考察好きにはたまらないワンカットと言えるでしょう。

『コンスタンティン』:アキと姫野の切ない対面

OPの中で、アキと姫野が夜の街を背景に向き合い、まるでキスしそうでしない距離感で見つめ合うシーンがあります。

このロマンチックで切ないカットは、2005年公開のファンタジー・アクション映画『コンスタンティン』の一場面をオマージュしています。

人物の立ち位置・視線・背景のライティングが極めて近く、演出意図が明確に感じられるシーンです。

『コンスタンティン』は、キアヌ・リーブス主演による悪魔祓いの探偵ジョン・コンスタンティンを描いた作品です。

この映画では、善悪のバランスが崩れつつある世界で、コンスタンティンが命を懸けて悪と戦います。

宗教的なテーマや強いビジュアル性が特徴で、人間の弱さや儚さにフォーカスした演出が多くの支持を集めました。

OPでのアキと姫野の対面も、ただの恋愛描写ではなく、「決して届かない想い」や「運命のすれ違い」が象徴されています。

まるでキスが始まるような距離で止まる2人の姿には、死と哀しみを予感させる静かな緊張感があります。

このカットは、アニメ本編で描かれる二人の関係性を先取りするような意味合いも含んでいます。

『コンスタンティン』もまた、死と向き合うキャラクターが世界の命運に関わるという構図を持っており、その文脈はアキと重なる部分が多いです。

ただの感傷では終わらない“重さ”のある対面が、OPの中でも異彩を放っています。

演出の美しさと内容の切なさが共存した、印象深いワンシーンです。

『ビッグ・リボウスキ』:ボウリングを楽しむ仲間たち

OPの終盤、デンジたちがボウリングを楽しむシーンがあり、特にデンジがボールを布で拭くしぐさが印象的です。

この一連の描写は、1998年公開のコメディ映画『ビッグ・リボウスキ』への明確なパロディです。

ボウリング場の雰囲気、構図、仕草がオリジナルと瓜二つで、映画を知っていれば思わず笑ってしまう再現度です。

『ビッグ・リボウスキ』は、コーエン兄弟監督によるカルト的人気を誇るコメディ映画で、人生に無関心な中年男「デュード」が主人公です。

彼が同姓同名の富豪と間違われたことをきっかけに、奇妙な事件へ巻き込まれていく物語です。

ブラックユーモアと不条理さが特徴的で、観る人によって好き嫌いがはっきり分かれるタイプの作品ですが、熱狂的なファンも多いです。

チェンソーマンOPでのこのシーンは、キャラたちの個性が軽妙に表現されているのが魅力です。

特にデンジの「ボールを拭く仕草」は、映画本編での“どうでもいいけどやたら丁寧な行動”のオマージュであり、日常の中の異常さを演出しています。

また、ボウリングという舞台が持つ“無意味さ”が、チェンソーマンの世界観に通じるような空虚さも漂わせています。

仲間と共に楽しむ様子の中に、不穏さや違和感が混在するこのシーンは、ただの“遊び”では終わりません。

シニカルでどこか哲学的な空気感が、他のシーンとはまた違う余韻を残します。

ユーモラスながらも深読みできる、奥行きのあるパロディです。

『ファイト・クラブ』:金の玉が転がる衝撃シーン

OPの終盤、パワーがハンマーを振り下ろして巨大な金の玉を転がす、インパクトのあるシーンがあります。

このシーンは、1999年公開のサスペンス映画『ファイト・クラブ』の衝撃的な演出をモチーフにしています。

強烈な動きとスローモーション演出が特徴的で、映画を知っていれば思わずニヤリとしてしまうオマージュです。

『ファイト・クラブ』は、平凡な会社員の主人公が謎の男と出会い、地下格闘クラブを通じて自分の中の破壊衝動に目覚めていく物語。

当時は賛否が分かれたものの、現在ではカルト的人気を持つ作品として再評価されています。

特に「ファイト・クラブの第一ルールは、それについて口外しないこと」というセリフは、映画史に残る名フレーズとして語り継がれています。

チェンソーマンのOPにおける金の玉のシーンは、単なる暴力ではなく“破壊の美学”を感じさせるものです。

パワーというキャラの無邪気さと狂気性が、このハンマーの一撃に凝縮されており、観る者に鮮烈な印象を与えます。

背景の色使いや演出のテンポも、まるで映画のワンシーンのようにスタイリッシュです。

さらに、OPの流れの中でもこのシーンはひときわ異彩を放っており、映像全体のダイナミズムを際立たせています。

破壊と快楽が紙一重に描かれる“狂気の美”を、わずか1秒足らずで表現しているのは見事です。

その背景に『ファイト・クラブ』の文脈があることで、より深い意味が立ち上がってくるのです。

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OP主題歌「KICK BACK」にも隠された元ネタ

『チェンソーマン』のOPは映像だけでなく、主題歌にも多くの仕掛けが施されています。

米津玄師による主題歌「KICK BACK」は、その歌詞やサウンドにおいても独自のパロディやオマージュが込められています。

その中でも特に印象的なのが、J-POPの名曲「そうだ!We’re ALIVE」へのリスペクトです。

モーニング娘。「そうだ!We’re ALIVE」からの引用

「KICK BACK」のサビに何度も登場する歌詞、「努力・未来 a beautiful star」

これは、2002年にリリースされたモーニング娘。の楽曲「そうだ!We’re ALIVE」の一節からの直接引用です。

米津玄師自身が小学生の頃からこのフレーズに強く影響を受けていたと語っており、子ども時代の記憶と今の創作が結びついた象徴的なリリックとなっています。

この引用にあたっては、つんく♂本人に正式な許可を得ているという点もファンの間で話題になりました。

つんく♂は完成した楽曲を聴いた後、「才能の塊というのは本当に恐ろしい」というコメントを寄せ、その創造力を絶賛しました。

単なる“パクリ”ではなく、しっかりとリスペクトを持ったコラボレーションであることがわかります。

原曲を知っている人なら、そのフレーズが現れた瞬間に驚きと共に懐かしさを感じるはずです。

アニメとJ-POPの境界を越えた引用が、「KICK BACK」の世界観をより特異なものにしています。

これもまた、チェンソーマンという作品の“ジャンルの枠を超える”魅力の一部と言えるでしょう。

米津玄師が語る「努力未来」の誕生秘話

「KICK BACK」のサビで繰り返される「努力・未来 a beautiful star」というフレーズは、米津玄師にとっても特別な意味を持っていたようです。

彼はインタビューで、この言葉を選んだ理由について「直感としか言いようがない」と語っています。

深く考えて選んだというよりは、心の奥底に残っていたものが自然に出てきた、という感覚に近かったようです。

米津は小学生時代、モーニング娘。の楽曲を繰り返し聴いていたとのことで、「そうだ!We’re ALIVE」はその中でも特に強く印象に残っていたと語ります。

当時は何気なく聴いていたそのフレーズが、大人になった今の自分の作品の中で生きる――それは、音楽が時間を越えて作用する力を象徴しています。

その背景には、単なるノスタルジー以上の、“今だからこそ伝えたい”という想いが込められているように感じます。

また、「努力・未来」という言葉自体が、チェンソーマンの主人公・デンジの生き様とも重なります。

報われない努力を続けながら、それでも“未来”を夢見て生きる――そんなテーマが、この短いフレーズに凝縮されています。

音楽と物語がリンクする瞬間は、視聴者に強く訴えかける力を持っています。

米津玄師の音楽は常に“感覚”を重視しながらも、そこに宿る物語性が魅力です。

「KICK BACK」に込められたこの引用もまた、物語の一部として成立していると言えるでしょう。

主題歌を通しても、チェンソーマンの世界はさらに豊かに広がっていきます。

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チェンソーマン 元 ネタ 映画からわかるアニメの魅力まとめ

『チェンソーマン』のOP映像に散りばめられたパロディは、ただのネタではなく作品世界をより豊かにする重要な要素です。

原作のテーマ性やキャラクターの感情を、映画の文脈を借りて視覚的に深く表現している点が、このアニメの大きな魅力となっています。

視聴者にとっても、元ネタを知ることでより深い理解と没入感が得られる仕掛けです。

映画を知ることでアニメの奥行きが広がる

今回紹介したように、『チェンソーマン』OPに登場する数々の映画パロディは、作品の雰囲気やキャラクターの背景を補完する役割を担っています。

映画を知らずとも楽しめる構成ではありますが、元ネタを知ったときに得られる驚きや感動は格別です。

「あの映画のあのシーンだったのか!」という気づきが、作品への愛着をさらに深めてくれるでしょう。

また、引用された映画にはどれも強烈な個性があり、そのひとつひとつが『チェンソーマン』の持つ世界観と絶妙に調和しています。

シリアス・ギャグ・サイコ・ロマンスといった多様なジャンルのパロディが同居していることで、OP全体にも“ジャンルレスな魅力”が生まれています。

これはまさに、藤本タツキという作家の幅広い映画愛と感性の表れだと言えるでしょう。

アニメをただ観るだけでなく、映画という“裏の文脈”を知ることで、何倍にも作品の奥行きが広がる。

チェンソーマンは、映像と文脈、音楽と記憶が交差する唯一無二のアニメです。

ぜひ何度でも見返しながら、自分だけの“気づき”を楽しんでみてください。

この記事のまとめ

  • チェンソーマンOPは映画パロディ満載の映像演出
  • タランティーノ作品など名作映画から多数引用
  • 各シーンに藤本タツキの映画愛と演出意図が反映
  • モーニング娘。の歌詞が主題歌に引用された背景
  • 映画を知ることでOP映像の深みが倍増する仕掛け
チェンソーマン
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