「ハイキュー」作者 古舘春一とは?バレーボール経験から誕生した名作の裏側

アニメ

「ハイキュー!!」の大ヒットで知られるハイキュー 作者、古舘春一先生。彼は25歳で初めての持ち込みを行い、脱サラして漫画家としての夢を実現しました。

学生時代から「漫画家」と「バレーボール漫画を描きたい」という2つの夢を抱き続け、やがて「ハイキュー!!」という青春スポーツ漫画を誕生させます。

この記事では、古舘春一先生の経歴やデビューのきっかけ、そして「ハイキュー!!」が世界的に人気を得るまでの道のりを詳しく紹介します。

この記事を読むとわかること

  • ハイキュー 作者・古舘春一先生の経歴と歩み
  • デビューから「ハイキュー!!」誕生までの道のり
  • 作品の成功が社会やバレーボール界に与えた影響

ハイキュー 作者 古舘春一の経歴まとめ

ハイキュー 作者として知られる古舘春一先生は、1983年生まれの岩手県出身です。

幼い頃から絵を描くことが大好きで、学生時代には既に漫画家を志していました。

同時にバレーボール部に所属し、競技経験を通して得た感情や悔しさが、後の代表作「ハイキュー!!」へと結びついていきます。

生い立ちと学生時代の夢

古舘先生は子どもの頃から漫画を描くことに熱中し、高校時代には既に漫画家になることを決意していたといいます。

また、この頃から「将来はバレーボール漫画を描きたい」という思いを抱いており、2つの夢を同時に胸に秘めていました。

実際に初めて1本の漫画を描き上げたのも高校時代で、部活動を終えた後は創作に没頭する日々を送っていました。

バレーボール部での経験が作品に影響

中学・高校時代、古舘先生はバレーボール部でミドルブロッカーとしてプレーしていました。

しかし所属チームは強豪ではなく、試合で満足いく成果を得られないことも多く、不完全燃焼の思いを抱えながら競技人生を終えます。

その経験が「努力しても届かない現実」「壁を越えるための工夫」といったテーマに昇華され、のちに「ハイキュー!!」で描かれる挑戦と成長の物語へとつながっていったのです。

古舘春一の漫画家デビューまでの道のり

ハイキュー 作者である古舘春一先生は、学生時代を終えた後にデザイン系の専門学校へ進学しました。

卒業後は仙台市内の広告制作会社に就職し、デザインやイラストの仕事をしながら社会人としてのキャリアを歩みます。

しかし、漫画家になる夢を諦めることはなく、会社員生活の傍らで創作活動を続けていきました。

デザイン会社での経験と挫折

会社員時代、古舘先生はイラスト制作を任されていましたが、同僚デザイナーから「君の絵は暗い」と指摘され、強い悔しさを味わったといいます。

そこから作画の幅を広げる努力を重ね、さまざまなタッチに挑戦しながら実力を伸ばしました。

この過程で培われた柔軟な表現力や観察眼は、のちに「ハイキュー!!」の緻密な描写に大きな影響を与えることになります。

25歳での持ち込みと新人賞受賞

転機となったのは25歳のとき。古舘先生はついにジャンプ編集部への持ち込みを決意しました。

そこで提出した作品「王様キッド」が第14回JUMPトレジャー新人漫画賞の佳作を受賞し、本格的に漫画家としての道が開けます。

その後も「アソビバ。」などの読み切りで実績を重ね、会社を辞めて創作に専念することを選択。ここから脱サラ漫画家としての本格的な挑戦が始まりました。

初連載「四ッ谷先輩の怪談。」とその後

古舘春一先生が最初に手掛けた連載作品は、「四ッ谷先輩の怪談。」です。

この作品はホラーサスペンスを題材とし、怪談噺を交えながら謎を解いていく独特の作風で注目を集めました。

少年ジャンプの読者層に合わず短期連載で幕を閉じたものの、その経験は後の代表作に大きく生きることとなります。

ホラー作品で培った演出力

ホラー漫画を描くにあたり、古舘先生は大量のホラー小説を読み込み、恐怖表現の研究を重ねました。

特に「描き文字」を使った演出は高く評価され、緊張感を際立たせる技術として「ハイキュー!!」にも受け継がれています。

例えば、ボールの勢いや止まる瞬間を文字で描く表現は、この時期に培われた発想力の成果といえるでしょう。

短期連載終了から次の挑戦へ

「四ッ谷先輩の怪談。」は完成度の高い作品でありながら、ジャンプの王道路線に合わず全18話で終了しました。

しかし、この挫折が古舘先生にとって新たな出発点となり、学生時代からの夢であった「バレーボール漫画」に挑むきっかけとなります。

編集者との議論を重ねたうえで、ついに「ハイキュー!!」の前身となる読み切り作品を発表し、次のステージへと進んでいくのです。

「ハイキュー!!」誕生の背景

「ハイキュー!!」は、古舘春一先生が長年温めてきた夢を実現させた作品です。

中学・高校でのバレー部経験を活かしながら、競技の魅力と青春の熱さを詰め込んだ漫画として構想されました。

読み切りから始まり、改良を重ねたうえで2012年に「週刊少年ジャンプ」で連載がスタートしました。

読み切りから連載へ進むまで

2011年、古舘先生は「ジャンプNEXT!」にて「ハイキュー!!」の原型となる読み切りを発表しました。

この時点で編集部や読者からの評価は高く、連載化を目指す動きが加速していきます。

何度も会議で落とされながらも粘り強くネームを練り直し、ついに2012年に正式連載が決定しました。

日向・影山のキャラクター作り

「ハイキュー!!」誕生の鍵を握るのは、主人公の日向翔陽と影山飛雄のコンビです。

特に日向は、当初平均的な身長設定でしたが、「より高く」ではなく「より早く」をテーマにするため、小柄なキャラクターへ変更されました。

一方、影山は古舘先生自身の高校時代の姿を重ねた部分が多く、序盤から大きな変更はありませんでした。この対照的なキャラクター設定が、物語に深みを与える要素となったのです。

「ハイキュー!!」の成功と影響

「ハイキュー!!」は2012年から2020年まで連載され、全402話・45巻で完結しました。

累計発行部数は5,000万部を突破し、アニメ化や舞台化を通じて国内外に人気を広げました。

その熱量あふれる物語は、ただのスポーツ漫画を超え、多くの読者や視聴者に勇気を与える作品となりました。

国内外での人気拡大

アニメは日本のみならずアジアやヨーロッパでも放映され、高い評価を得ています。

キャラクター同士の絆やリアルな試合描写は、言語や文化を超えて共感を呼び、世界的なファン層を形成しました。

特に烏野高校と音駒高校の「ゴミ捨て場の決戦」は、今もアニメ化が期待される名エピソードとして知られています。

バレーボール人気への貢献

「ハイキュー!!」の影響は漫画業界にとどまらず、現実のバレーボール界にも及びました。

連載開始以降、中高生の部活動でバレーボール部員数が増加し、競技人口の拡大に大きく貢献したといわれています。

作品を通じて「バレーって面白い!」と感じた読者が実際に競技を始めたケースも多く、その社会的インパクトは計り知れません。

ハイキュー 作者 古舘春一の歩みと今後の展望まとめ

ハイキュー 作者として知られる古舘春一先生は、学生時代の夢を貫き通し、脱サラを経て大ヒット作を世に送り出しました。

挫折や苦悩を糧にしながら挑戦を続けたその歩みは、多くの読者に勇気を与えるものです。

「ハイキュー!!」完結後も、彼の漫画表現に対する情熱は尽きることなく、今後の活動にも期待が高まっています。

特に2022年には特別読み切りが発表され、キャラクターたちのその後が描かれました。

さらにアニメ第5期の制作も有力視されており、再び「ゴミ捨て場の決戦」が映像化される日を楽しみにしているファンも多いでしょう。

古舘先生が描く新たな物語は、必ずや読者に新しい感動を届けてくれるに違いありません。

こうして振り返ると、古舘春一先生の歩みは努力と情熱の結晶であり、漫画の枠を超えて人々の心に影響を与えてきました。

これからもその創作力で、次なる大作を生み出してくれることを期待したいと思います。

そして「ハイキュー!!」が与えた影響は、今後もバレーボール界や漫画文化の中で輝き続けるでしょう。

この記事のまとめ

  • ハイキュー 作者・古舘春一先生の生い立ちと夢
  • 学生時代のバレーボール経験が作品の基盤
  • デザイン会社勤務を経て25歳で持ち込み
  • 新人賞を受賞し脱サラして漫画家デビュー
  • 初連載「四ッ谷先輩の怪談。」で演出力を磨く
  • 読み切りを経て「ハイキュー!!」連載開始
  • 日向と影山の対照的キャラクター設定の背景
  • 国内外で大ヒットし累計5000万部を突破
  • バレーボール人気拡大に大きく貢献
  • 今後の新作やアニメ続編にも期待が高まる
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