鬼滅の刃の映画「無限城編 第一章 猗窩座再来」は、迫力ある戦闘映像とキャラクターたちの壮絶なドラマを大スクリーンで楽しめる作品です。
一方で、ネタバレを含む感想を率直に語るなら、猗窩座の過去や恋雪との物語には感動したという声だけでなく、展開の唐突さに違和感を覚える人もいるでしょう。
この記事では、鬼滅の刃 無限城編の富岡義勇・炭治郎と猗窩座の戦いを中心に、映画の見どころ、気になった点、伊之助や「おばみつ」に癒やされた場面まで詳しく紹介します。
映画をすでに鑑賞した人はもちろん、ネタバレを確認したうえで作品の評価や見どころを知りたい人も、ぜひ参考にしてください。
この記事を読むとわかること
- 「無限城編 第一章 猗窩座再来」の見どころとネタバレ感想
- 富岡義勇・炭治郎対猗窩座の圧巻の戦闘と劇場映えする演出
- 猗窩座の過去への違和感や伊之助・おばみつの癒やし場面
鬼滅の刃の映画は映像と戦闘が圧巻!ただし猗窩座の過去は評価が分かれる
劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来で、まず圧倒されるのは、複雑に形を変える無限城の空間と、息をつく暇もなく展開される戦闘映像です。
特に富岡義勇と竈門炭治郎が猗窩座に挑む場面は、剣技と格闘術が激しくぶつかり合い、映画館の大画面と音響で見る価値を強く感じさせます。
一方、猗窩座の人間時代や恋雪との物語は感動的であるものの、戦闘から長い回想へ移る構成には、唐突さやテンポの変化を感じる可能性があります。
富岡義勇の水の呼吸と猗窩座の血鬼術は劇場映えする
富岡義勇と猗窩座の戦いで印象的なのは、水の呼吸が持つ静かで流れるような美しさと、猗窩座の血鬼術が放つ荒々しい破壊力が、はっきりと異なる映像表現で描かれている点で、富岡義勇が刀を振るうたびに生まれる水流は単なる派手な演出ではなく、攻撃を受け流しながら反撃の機会を探る彼の冷静な戦い方を表しており、巨大な無限城の内部を舞台にしたことで、水の軌跡や足場の変化まで含めた立体的な戦闘として楽しめます。
これに対して猗窩座は、素手による格闘を基本としながら、拳や蹴りから広範囲に衝撃を走らせる血鬼術を次々と繰り出すため、刀と拳が衝突するたびに空間そのものが揺れているような迫力が生まれ、特に攻撃の瞬間に響く重い打撃音と、床や壁が崩れる映像が組み合わさることで、観客にも衝撃が伝わってくるように感じられましたし、この戦闘の迫力は、自宅の小さな画面より映画館でこそ味わいやすい魅力です。
富岡義勇が水柱として磨き上げた防御と反撃を駆使しても、猗窩座は相手の闘気を読みながら間合いを詰め、攻撃を受けてもすぐに再生して戦い続けるため、人間と鬼の身体能力の差が残酷なほど伝わり、その圧倒的な不利を技術と連携で覆そうとする姿が緊張感につながっており、静かな表情を崩さない富岡義勇と、強者との戦いを心から楽しむ猗窩座の対比も、二人の攻防を単なる派手なアクションでは終わらせない要素になっています。
さらに、水の呼吸の繊細な動きと猗窩座の血鬼術による爆発的な動きが高速で切り替わっても、それぞれの位置や攻撃の流れを見失いにくく、観客が戦況を理解したまま興奮できる映像になっている点も見事で、私は特に、富岡義勇が追い詰められても冷静に刀を構え直す場面から、秘めていた力を発揮して猗窩座へ食らいついていく流れに引き込まれ、水柱としての強さと責任感が凝縮された見せ場だと感じました。
猗窩座と恋雪の回想は感動的だが唐突さも感じられる
猗窩座の過去では、彼が人間だった頃の狛治として、病気の父を救おうと必死になりながらも社会から追い詰められ、その後に慶蔵と恋雪に出会って穏やかな居場所を得ていく姿が描かれるため、強者との戦いだけを求めているように見えた鬼にも、守りたかった人と失いたくなかった日常があったことが分かり、それまで抱いていた猗窩座への印象が大きく変わりますし、恋雪と将来を約束する場面の優しさを知るほど、その後に起こる悲劇の残酷さが重く響きます。
とりわけ切ないのは、鬼になった猗窩座が人間時代の記憶をほとんど失いながらも、弱者を嫌い、強さを求め、女性を食べようとしないといった行動の奥に、狛治だった頃の後悔や恋雪への思いを残しているように見える点で、猗窩座の価値観は単なる戦闘狂として生まれたのではなく、守れなかった苦しみがゆがんだ形で残ったものだと考えると、彼の言葉や行動にも悲しさが加わります。
ただし、富岡義勇と炭治郎による命懸けの戦いが最高潮に達したところで、長い時間を使って狛治と恋雪の物語へ切り替わるため、私は感情の置き場所に少し迷い、回想そのものには心を動かされながらも、先ほどまで続いていた戦闘の緊張が途切れたようにも感じましたし、猗窩座の過去を原作で知っている人には待ち望んだ場面であっても、映画で初めて物語に触れる人には、急に別の作品が始まったような唐突さが残るかもしれません。
それでも、この回想は猗窩座を同情されるためだけの悪役に変えるものではなく、彼が人間として犯したことや鬼として奪ってきた命を消さないまま、なぜ強さへ執着したのかを理解させる役割を持っており、私は恋雪との場面に感動しつつも、悲しい過去があるからすべて許されるわけではないと感じたため、素直に泣けた人と冷静に見てしまった人のどちらがいても不思議ではなく、猗窩座の過去は観客によって評価が分かれやすい場面だと思います。
粗削りな部分があっても最後まで引き込まれる作品
無限城編 第一章 猗窩座再来は、胡蝶しのぶ、我妻善逸、富岡義勇、竈門炭治郎など、異なる場所で戦う人物たちの物語を並行して描くため、場面の切り替えが多く、ひとつの戦いに集中したいタイミングで別の人物へ移ることもありますが、その慌ただしさ自体が、無限城の各所で鬼殺隊と上弦の鬼が同時に命を懸けている状況を表しており、物語が動き始めたあとは、次に誰が現れ、どの戦いが決着するのか気になって目を離せなくなります。
一方で、それぞれの戦闘に大きな見せ場と過去回想が用意されているため、激しい攻防で高まった緊張が回想によって落ち着き、再び戦闘へ戻って盛り上がるという流れが繰り返され、上映時間の長さを感じる人もいるでしょうし、猗窩座の回想を含めて感情を強く揺さぶろうとする演出が続くことから、観客によっては感動より先に構成上のパターンが見えてしまい、物語に入り込みにくくなる可能性もあります。
それでも、複雑に変形し続ける無限城、攻撃の重さまで伝える音響、呼吸や血鬼術を色彩豊かに見せる映像、声優陣の緊迫した演技が一体となった戦闘には、細かな不満を押し流すほどの力があり、特に富岡義勇と炭治郎が猗窩座を相手に限界を超えていく後半は、結末を知っていても手に力が入るほどの勢いがあるため、映像と音を含めた総合的な体験として満足度の高い映画になっています。
私は猗窩座と恋雪の回想へ入るタイミングや、一部のせりふの多さには粗削りな印象を持ちましたが、完璧に整った作品ではないからこそ、感動した部分と違和感を覚えた部分の両方を誰かと語りたくなりましたし、三部作の第一章として最終決戦の規模と厳しさを十分に示しながら、次の戦いへの興味も残しているため、気になる点を含めても最後まで観客を引き込む強さがある作品だと率直に感じました。
鬼滅の刃 無限城編で注目したい富岡義勇・炭治郎対猗窩座の戦い
鬼滅の刃 無限城編 第一章 猗窩座再来の中心となるのが、富岡義勇と竈門炭治郎が上弦の参・猗窩座に挑む激闘です。
水の呼吸とヒノカミ神楽、猗窩座の格闘術が目まぐるしく交差し、三者の強さだけでなく、それぞれが戦う理由まで浮かび上がります。
圧巻の作画や音響はもちろん、富岡義勇の献身、炭治郎の成長、猗窩座の異常な執念が重なることで、長い戦闘でも緊張感が途切れません。
炭治郎を守りながら戦う富岡義勇が格好いい
猗窩座との戦いで富岡義勇が格好よく見える最大の理由は、自分も激しい攻撃を受けているにもかかわらず、炭治郎の状態と位置を常に気にかけ、危険が迫れば迷わず間に入る点で、炭治郎を未熟な隊士として遠ざけるのではなく、共に戦う仲間として認めながらも、柱である自分が守るべき場面では身体を張る姿から、口数の少ない義勇なりの優しさと責任感が伝わってきます。
猗窩座は相手の闘気を感知しながら攻撃を先読みし、刀を使う剣士に対しても素手で間合いへ踏み込んでくるため、一瞬でも判断が遅れれば致命傷になりかねませんが、義勇は水の呼吸の流れるような動きで攻撃を受け流し、炭治郎が体勢を整える時間を作りながら反撃へつなげており、守ることと攻めることを同時に成立させる水柱の技量が、映像を通じて明確に表現されています。
物語の序盤では他人と距離を置き、自分は柱にふさわしくないという思いを抱えていた義勇が、ここでは炭治郎と連携し、自らの限界を超えて猗窩座へ立ち向かうため、単に強い剣士が活躍する場面ではなく、義勇が仲間とのつながりを受け入れていく場面としても見ることができ、私は炭治郎を守りながら最後まで前線に立ち続ける富岡義勇こそ、この戦いを支えた存在だと感じました。
炭治郎のヒノカミ神楽と最後の一撃が見せ場になる
炭治郎は煉獄杏寿郎を死なせた猗窩座に強い怒りを抱いていますが、感情のまま刀を振るうだけでは攻撃を読まれ、圧倒的な速度と再生能力を持つ猗窩座には届かないため、戦闘の中で父・炭十郎の動きや過去の経験を思い返し、自分の殺気や闘気を消す方法へたどり着いていく流れが描かれ、これまで身につけてきた技術と精神的な成長が一つにつながる展開には、大きな達成感があります。
ヒノカミ神楽は炎のような鮮烈な軌跡と力強い踏み込みによって、水の呼吸とは異なる迫力を生み出し、猗窩座の破壊殺が放つ青白い衝撃とぶつかることで画面全体が激しく動きますが、見た目の華やかさだけでなく、炭治郎が呼吸、視線、重心、相手との距離を整えながら攻撃の瞬間を見極めていることも伝わるため、ヒノカミ神楽が炭治郎の成長を示す技として機能している点が印象的です。
そして、猗窩座の感知をかいくぐった炭治郎が首へ刀を振り抜く最後の一撃は、力任せの偶然ではなく、これまで出会った人々から受け取った教えと、義勇が命懸けで作った機会を生かした結果になっており、首を斬ってもなお戦おうとする猗窩座の異常な執念まで含めて、決着の瞬間まで安心できませんが、炭治郎が上弦の参へ自らの力で届いた一撃として、本作を代表する見せ場になっています。
猗窩座の格闘と衝撃波が映画館ならではの迫力を生む
猗窩座の戦闘は刀や武器を使用せず、自分の拳と蹴りを中心に組み立てられているため、剣士同士の斬り合いとは異なる肉体的な重さがあり、踏み込みと同時に床が砕け、拳を振り抜けば衝撃波が遠くまで走り、攻撃を避けても周囲の壁や足場が破壊されることから、猗窩座と同じ空間にいるだけで命が危険にさらされるという、上弦の鬼の恐ろしさを直感的に理解できます。
特に映画館では、拳が刀へ激突する金属音、空気を押しつぶすような低音、衝撃波が周囲へ広がる音が大きなスクリーンの映像と重なり、座席まで震えるような感覚を生むため、攻撃を目で見るだけでなく身体で受けているような臨場感があり、猗窩座の格闘術と血鬼術は映画館の音響環境で魅力が最大化されると感じられました。
また、猗窩座は富岡義勇の技や身体能力を素直に評価し、より強くなるよう勧めながら、楽しそうに攻撃を繰り返すため、命を奪う戦いを喜びとして受け入れている不気味さが際立ち、どれほど激しい傷を受けても即座に再生して笑みを浮かべる姿には、人間の剣士が持つ覚悟とは異なる恐怖がありますが、圧倒的な破壊力と武術家らしい洗練が同居していることが、猗窩座の戦闘を特別なものにしています。
戦闘中の会話には思わずツッコミたくなる場面もある
富岡義勇と炭治郎が一瞬の判断を誤れば命を落とす状況にいる一方で、猗窩座は攻撃を続けながら相手の技量を褒め、自分の価値観や強さへの執着を何度も語るため、人物像を理解するうえでは必要な会話であっても、あまりに余裕を持って話し続ける姿を見ると、戦闘に集中している観客ほど、今その長さで会話ができるのかとツッコミたくなる場面があります。
猗窩座が義勇の名前を聞き出そうとしたり、強い人間が老いて死ぬことを惜しんだりする言葉には、強者を尊敬しながら鬼へ勧誘する彼の独特な性格が表れていますが、激しい攻撃と長い会話が交互に挟まれることで、せっかく高まった速度感が一度落ち着いてしまう瞬間もあり、迫力のある戦闘だからこそ、猗窩座のおしゃべりが余計に目立つという印象は残りました。
ただし、猗窩座が戦いながら語り続けるのは、相手を挑発するためだけではなく、強い者と理解し合いたいという欲求や、自分でも思い出せない人間時代の価値観が無意識に表れているとも考えられ、会話の多さに違和感を覚えながら見返すと、彼が何に執着し、何を失っているのかが見えやすくなるため、ツッコミどころのある会話も猗窩座の悲しさにつながる伏線として受け取れる場面です。
鬼滅の刃の映画で感じた猗窩座への違和感と癒やしのキャラクター
鬼滅の刃 無限城編 第一章 猗窩座再来では、猗窩座の圧倒的な強さと悲しい過去が丁寧に描かれる一方、戦闘中の言動や物語の構成には違和感も残ります。
しかし、緊張と悲劇が続く映画の中には、伊之助の勢いある叫びや、伊黒小芭内と甘露寺蜜璃の微笑ましいやり取りなど、気持ちを和らげる場面も用意されています。
猗窩座への複雑な感情と、個性豊かな仲間たちに癒やされる瞬間の両方があるからこそ、重い物語を最後まで見届けられる作品になっていると感じました。
戦闘狂の猗窩座がおしゃべりすぎる点に違和感が残る
猗窩座は富岡義勇と炭治郎を相手に高速で拳を繰り出しながら、相手の強さを評価したり、名前を尋ねたり、鬼になればさらに強くなれると勧誘したりするため、命を懸けた戦闘中とは思えないほど会話の量が多く、猗窩座らしい性格を示すためのせりふだと理解しつつも、私はこれほど激しく動きながら、なぜここまで落ち着いて話し続けられるのかと気になり、戦闘の緊張感よりもおしゃべりの長さへ意識が向く瞬間がありました。
もちろん、猗窩座にとって戦いは相手を素早く倒すためだけのものではなく、優れた武術や技を持つ強者と向き合い、その力を確かめながら競い合うこと自体が喜びであるため、義勇の水の呼吸を褒めたり、炭治郎の成長へ興味を示したりする言葉は、強さを崇拝する彼の価値観を伝えるうえで欠かせませんが、炭治郎たちが一瞬の油断も許されない状態なのに、猗窩座だけが会話を楽しんでいるように見えることで、敵としての恐ろしさと同時に、どこか場の空気を読まない人物のような奇妙さも強く残ります。
さらに物語を最後まで見ると、猗窩座が強者との会話や交流を求める背景には、人間だった頃に慶蔵から武術を教わり、恋雪や大切な人々とのつながりを得た記憶が無意識に残っているとも考えられるため、彼のおしゃべりは単なる余裕や挑発ではなく、失ってしまった人間関係を戦いの中で再現しようとする寂しさの表れにも見えますが、それでも初見では会話の多さが目立つため、猗窩座の人物像を深める演出である一方、戦闘の速度を弱める要因にもなっていると感じました。
鬼の過去回想が続くことで展開がパターン化して見える
鬼滅の刃では、残酷な行動を取ってきた鬼にも人間だった時代があり、家族を失った悲しみや社会から追い詰められた苦しみが存在したことを、戦いの決着に合わせて描く構成が何度も使われてきましたが、敵を単純な悪として処理せず、その人生まで見せる姿勢は作品の大きな魅力である反面、上弦の鬼との戦いが続く無限城編では、激戦、決着、長い回想、同情という流れが繰り返される印象も強くなり、次に何が描かれるのか予想できてしまう部分があります。
猗窩座の過去は、病気の父を救うために罪を犯した狛治が、慶蔵と恋雪に出会って初めて守りたい居場所を手に入れながら、その幸せを理不尽に奪われる物語であり、内容そのものは非常に重く、鬼になってからも女性を食べなかったことや、強くなることへ異常なほど執着した理由を理解させる重要な回想ですが、戦闘が最高潮に達した直後に長い人間ドラマへ移ることで、私は猗窩座の悲劇に胸を締めつけられながらも、また鬼の悲しい過去で感情を動かす構成なのかという冷静な視点も生まれてしまいました。
ただし、過去回想がパターン化して見えるからといって、すべての鬼が同じ人物として描かれているわけではなく、弱さを嫌悪する猗窩座、他人の感情を理解できない童磨、ゆがんだ劣等感を抱える鬼など、それぞれが異なる欠落を持っているため、回想を泣くための場面としてだけでなく、鬼になった後の言動と人間時代の経験がどのようにつながっているのか考えながら見ると印象は変わり、似た構成の中で人物ごとの違いを読み取ることが、無限城編を深く味わうポイントになると思います。
伊之助の叫び声が重い物語の癒やしになる
無限城編 第一章は、鬼殺隊の隊士たちが突然巨大な城へ落とされ、仲間と引き離されたまま上弦の鬼と命懸けで戦う重い状況が続くため、悲鳴、負傷、過去の喪失が重なるほど観客の気持ちも沈みやすくなりますが、その緊迫した空気の中で聞こえる嘴平伊之助の大きな叫び声や勢いのある反応には、深刻な場面でも自分らしさを失わない強さがあり、登場するだけで空気がわずかに軽くなるため、私は伊之助の声を聞くだけで少し安心できるように感じました。
伊之助は状況を細かく分析して慎重に言葉を選ぶ人物ではなく、分からないことがあれば叫び、腹が立てば叫び、仲間を見つけても全力で反応するため、静かな恐怖が支配する無限城では、その単純で真っすぐな感情表現がかえって新鮮に映り、彼の叫びは笑いを取るだけの演出ではなく、観客が長時間抱えていた緊張を一度外へ逃がす働きを持っており、重い物語を最後まで見続けるための大切な息抜きになっています。
一方で、伊之助は明るいだけのにぎやかな人物ではなく、母親に関する記憶や仲間を失う痛みと向き合う役割も担っているため、彼の元気な叫び声を聞いて安心すればするほど、今後その明るさが揺らぐ展開への不安も強くなり、無邪気さと危うさが同時に見えてきますが、少なくとも悲劇が連続する第一章では、伊之助がいつもの調子を保っていること自体が希望に感じられ、仲間にも観客にも前を向く力を与える存在だと思いました。
伊黒小芭内と甘露寺蜜璃の「おばみつ」がかわいい
伊黒小芭内と甘露寺蜜璃は、柱稽古編までの物語でも互いを気にかける様子が描かれてきましたが、無限城という命の危険に満ちた場所でも、蜜璃を心配する小芭内の態度や、小芭内へ素直な信頼を向ける蜜璃の反応から二人の特別な関係が伝わり、激しい戦闘の合間にその姿が映ると、私は殺伐とした空間へ急に柔らかな空気が流れ込んだような安心感を覚えました。
いわゆる「おばみつ」の魅力は、派手な恋愛表現や長い告白がなくても、小芭内が蜜璃の安全を最優先に考える視線や言葉、蜜璃が小芭内の存在を自然に頼りにする姿から、互いを大切に思っていることが十分に分かる点にあり、小芭内の厳しく近寄りがたい印象と、蜜璃の明るく素直な性格が対照的であるからこそ、二人が並んだときの微笑ましさが際立ち、短いやり取りだけでも関係性の深さを想像できることが人気につながっているのでしょう。
もっとも、無限城編は鬼殺隊と鬼舞辻無惨との最終決戦であり、かわいいやり取りをいつまでも楽しめる状況ではないため、二人が寄り添う場面を見るほど、この先に待つ過酷な戦いを想像して切なくなりますが、悲劇が避けられない物語の中でも誰かを好きになり、その人を守りたいと願う気持ちは失われておらず、「おばみつ」の関係は絶望的な状況に残された優しさと希望を象徴しているように感じました。
鬼滅の刃の映画「無限城編」を率直に振り返るまとめ
鬼滅の刃の映画「無限城編 第一章 猗窩座再来」は、圧倒的な映像と音響で最終決戦の緊張感を体験できる一方、回想の長さや演出の好みで評価が分かれる作品です。
富岡義勇と炭治郎の共闘、猗窩座の格闘、伊之助の明るさや「おばみつ」のかわいさなど、観客によって心に残る人物や場面も大きく変わるでしょう。
感動できなかった部分や思わずツッコミたくなった場面があっても、それを含めて自由に語り合えることが、この映画の面白さだと私は感じました。
好みが分かれてもお気に入りのキャラクターや場面は見つかる
無限城編 第一章 猗窩座再来は、富岡義勇と炭治郎による猗窩座戦だけでなく、無限城の各所で進行する複数の戦いや、それぞれの人物が背負ってきた過去を描いているため、作品全体の構成や回想の長さが自分の好みに合わなかったとしても、どこかに心をつかまれる人物や場面を見つけやすく、私は映画としての完成度を一つの点数だけで決めるより、誰の戦いに最も心を動かされたのかを振り返る楽しみ方が、この作品には合っていると感じました。
寡黙ながら炭治郎を守って戦う富岡義勇に格好よさを感じる人もいれば、煉獄杏寿郎への思いを胸に猗窩座へ挑む炭治郎の成長に感動する人もおり、圧倒的な強さと悲しい過去を併せ持つ猗窩座に心を奪われる人もいるため、同じ映画を見ても印象に残る場面は大きく異なり、さらに伊之助の叫び声や伊黒小芭内と甘露寺蜜璃の関係に癒やされた人にとっては、戦闘以外の短いやり取りも大切な見どころになります。
そのため、猗窩座の回想に深く感動できなかったからといって映画全体を楽しめなかったことにはならず、反対に戦闘の細かな技や作画を追えなかったとしても、登場人物の表情や声の演技に心を動かされたなら、それも十分に価値のある鑑賞体験であり、好みが分かれる作品だからこそ、自分だけのお気に入りを見つけられることが、鬼滅の刃 無限城編の魅力だと思います。
ツッコミどころを含めてもう一度見たくなる魅力がある
初めて鑑賞したときは、目まぐるしく変化する無限城の構造や、富岡義勇、炭治郎、猗窩座が高速で繰り広げる攻防を追うだけでも精いっぱいになりやすく、猗窩座が攻撃しながら長く話していることや、戦闘の途中で過去回想へ移る構成に違和感を覚えても、その意味まで落ち着いて考える余裕はあまりありませんが、結末を知ったうえでもう一度見ると、初見では見落とした表情やせりふの意味に気づける可能性があります。
猗窩座が強者へ名前を尋ね、鬼になるよう繰り返し勧める姿は、最初は戦闘中におしゃべりをしすぎているように見えますが、人間時代の狛治が慶蔵から武術を教わり、恋雪と将来を約束していた過去を知ってから見返すと、彼が強さだけでなく、無意識のうちに誰かとのつながりを求めていたようにも感じられ、ツッコミたくなった言動が人物の悲しさを示すものへ変わる点は、再鑑賞ならではの面白さです。
また、映画館では戦闘の迫力に圧倒されて見逃しやすかった富岡義勇の視線、炭治郎が攻撃へ移る前の呼吸、伊之助の細かな反応、小芭内が蜜璃を気にかける様子などを意識して見ると、物語の印象も変わるため、すべてに納得できたからもう一度見たいのではなく、分からなかった部分や気になった演出を確かめたいから再び見たくなり、違和感やツッコミどころまで再鑑賞の動機になる映画だと感じました。
感動できなかった部分も含めて自由に感想を語ってよい作品
鬼滅の刃は多くの人に愛されている作品であり、猗窩座と恋雪の物語を見て涙を流したという感想も多く語られやすいため、自分が同じように感動できなかった場合、作品を正しく理解できていないのではないかと不安になるかもしれませんが、映画の受け取り方は観客の経験や好みによって異なるものであり、泣けなかったことや違和感を覚えたことも、否定されるべき感想ではありません。
猗窩座の過去を悲しいと思いながらも、鬼として奪ってきた命を考えると素直に同情できない人もいれば、回想そのものには感動しても戦闘の途中に入る構成が長いと感じる人もおり、反対にその長さがあったからこそ狛治と恋雪の関係を深く理解できたと受け取る人もいるため、どれか一つだけが正解なのではなく、感動、違和感、興奮、疲労、笑いといった複数の気持ちを同時に抱くことも自然です。
私自身は、富岡義勇と炭治郎が限界を超えて猗窩座へ挑む戦闘には強く引き込まれた一方で、猗窩座の会話の多さや回想へ移るタイミングには少し引っかかりを覚えましたが、その引っかかりがあったからこそ作品について考え、他の人の感想も聞きたくなったため、感動した部分も納得できなかった部分も率直に語れることが、この映画を長く楽しむ方法だと思います。
この記事のまとめ
- 無限城を舞台にした圧巻の映像と戦闘シーン!
- 義勇と炭治郎が挑む猗窩座との壮絶な戦い
- 猗窩座と恋雪の回想は感動と唐突さが同居
- おしゃべりな猗窩座や回想の多さには違和感も
- 伊之助の叫びや「おばみつ」が癒やしに
- ツッコミどころを含めて再鑑賞したくなる作品


